私はよく、「いい日でありますよう」という言葉で、文章を終わりにすることがある。
それは、おさないころから何度も読み込んできた「ドーム郡ものがたり」という、芝田勝茂さんの作品から来ている。
遠いはるか昔の町から町、森から森へと旅を続ける、歌と踊りのさすらいびとたち。
自然と対話するたくさんの歌。その本をひらくこどもたちをまったくひきつけてやまない、強い優しい物語。どんなにわたりあった友にも、自然な別れ道にて手を振る、「いい日でありますよう」。
転校続きで友達のいない私にとって、その「ドーム郡」の世界は、とてもまばゆい大切なものだったと思う。
それは、ほんのちょっとでも、生きているのが楽になれるようなことだ。
私は、大学3年の頃から、銀座にある大手の出版系の会社でアルバイトをしていた。
就職情報誌の記事の校正と渉外、それにまつわる雑務。さまざまな大学生たちがにぎやかに集まるそのバイト先は、バブル後だったとはいえ当時はサークルのようでもあった。
ある日、なにか、期の目標達成のうちあげ的な飲み会のあと、バイトの子たちだけで「六本木までタクシーで行ってクラブで踊ったりしよーよ!」という流れになった。
いや…私そうゆうのちょっと…むずかしいかも…っていうか、クラブ行ったことないし…六本木っつったら、シネヴィヴァンとWAVEしか知らないよ…どっちかといえば演劇とか文学とかでサブカル系なのですよわたくし…
とかなんとか言いつつ、行ったら行ったでまた楽しかったりしてね。
さてどうしてそんな話を今しているのか。
その出かけた先のクラブで、よくわからない暗めの光の中、踊る人、お酒を飲む人、知らない人と話し始める友人などなど、にまぎれて、私はひとつふたつ離れた席の知らない男の子と少しくちをきくようになった。
当時の、いまどきの男の子、だったように思う。
「おれ音楽やっててー」「ふーん、私は芝居とか文学とか、あと絵描いたりだとかしてる」などと適当に話を受け流しつつ、遊んで楽しく生きるのもだいじなことだけど、なにかひとつでも「これ」っていうもの持ってる人のほうが信じられるよねみたいな話になぜかなっていった。若い。若すぎる。
その時彼が「子供の時からだいじにしてる本がひとつだけあってー。ばあちゃんが買ってくれたんだけど―。うーん、遠い国の古文書をひもといて物語にしたみたいな?」と言った時、ほろ酔いぎみの私の気持ちが、きゅうに光った。
<…この男の子はもしや私がとても大切にしてきた本の話をしているのではないか?>
「それって、『ドーム郡』じゃない?」
あたりだった。
男の子と私は、覚えている限りの本の場面を話しあって、どれだけなりきって本を読みこんでいたかを競い合って、こんなところでこんな話ができるなんてと笑って、何度も乾杯をした。
大人になるのも、悪くないな。と、ちょっとだけ思ったのを覚えている。
その子とは、もちろん、それっきりだ。
ポケベルの番号くらいは交換したかもしれない。
でも、「いい日でありますよう」って場面がわかる人どうしが、あの物語を信じている子供どうしが、大きくなってちょっとだけすれ違えたこと、しかも六本木の深夜のクラブにて。
それでもう充分だ。
いつのまにか、大人になったかのように暮らしている私ですが、たいして変わっていませんね。
詩と音楽の夜「ナイトライト」、もうじき、予告編公開やチケット予約開始など、いろいろお楽しみポイントございます、ぜひ!
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