「ピアスと国語」
- naitou

- 8月2日
- 読了時間: 3分

大学一年の時だけ、塾講師のバイトをやっていました。小中学生の国語を。
少人数制の塾だったので、多くてひとコマ5人くらいだったかな。
事前に自分でプリント作ったり問題集買ったりしてちょっと大変だったけど、意外に子供たちが懐いてくれて楽しかったです。
子供たちからは「なるちゃん」って呼ばれてたな。なんでだろ。小学生の子が言い出したんだったかな。
私は教員養成の制度が充実した大学に在籍していたんだけど、もうずいぶん小さい頃からはっきりと「私はひとにものを教えられるような人ではない」と思っていたので、最初からその選択肢はいっさいなかった。
かなりの割合でみんなそのための授業を選択していたし、高校から一緒の仲良しの先輩も確か音楽の先生になるための専攻だったように思う。
私はあまり学校に行かなくて、どうしても行かなくてはならない日の空き時間はだいたいピアノ棟か図書館にいるような人だった。
だからなんで塾講師のバイトを始めたのかは自分でも謎なんだけど、子供たちから教えられることばかりだったけど、それでもいい時間だったと思っています。
もう自分に一瞬そんな呼び名があったことじたい、すっかり忘れていた。
自分の中には強めの呼び名いくつかのことばかり残っていたけど、こういうことは憶えていたほうがいいんだろうきっと。
人生には、いろんなことがあるからね。
それは、最近時々耳飾りをするようになって、ふと思い出したことでした。
そういえば私、大学生の頃ピアスしてたっけ。
数年しかしてなくてふさがっちゃったけど…
そのピアスの穴の名前は、右は「なる」で左は「りん」じゃなかったっけ。
それはその年頃かすかに、数人だけに呼ばれていた名前だったんだっけ。
「なるちゃん、おれ、⭐︎⭐︎高校受かったよー!」
冬の終わりに、そんな電話をかけてきてくれた子がいました。
たぶん自宅からで、前に「なるちゃんこれ知ってる?」って聞かれて「知ってる知ってるー」ってこたえた渡辺美里の曲を後ろに流しながら。
それがどの曲だったのかはもうわからなくてごめんなのだけど、その子の嬉しそうな設定全体がとてもかわいらしくて、うーん私はいくつまでこういう感じでいられるんだろうもう遅いかも〜なんて思いながらにこにこしてその報告を聞いていました。
。。。。。。。。
(2026年8月追記)
ピアス、嫌いじゃなかったんだけど、金属アレルギーみたいになっちゃってやめました。
あと自分の福耳っぽさが、あまり好きではなかったのかも。
子供の頃、お料理の本で「粉をこねる時は耳たぶくらいのやわらかさで」と読んで無意識に授業中に耳たぶを触ってみているうちに福耳になっちゃったのかもって本気で思ってた。
今は、うちの猫が毛布をこねているのを見ると「耳たぶくらいのやわらかさでお願いしまーす」とかよく思います。



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