「言葉に降りてゆく」
- naitou
- 4月7日
- 読了時間: 2分

先日、外階段を降りていたら、一番下にぴったりと動かないで擬態しているトカゲ発見。
踏んでしまいそうで、よけても足に登ってきたらどうしようとも思って、ちょうど満開の桜も近かったので、しばし階段に座り込んで空なぞ見上げていました。
春穏かな日々に、ちょっとずつ、復調してきたかもしれません。
先は長く、はてなく、ひかっているのですよ。
「復調」って言葉、昔は普通によく言っていたかも。
高校の吹奏楽部で、夏に野球部の応援(県大会まで)に行った帰りや翌日は「復調しなくちゃ」ってみんなで言ってたし、そのための時間もちゃんととられていたと思います。
野球部の応援は暑い野外で音の出し方も違うので、各自、楽器も音も唇も壊さないでねってことでしたね。
演劇だと、東京で公演をうってから地方公演に行くまでの期間があいてしまう場合に直前に少しとる稽古をよく「思い出し稽古」と言っていて、「復調」とはちょっとニュアンスが違うけど、それはそれで非常にわかりやすい名前ですね…などと思っていました。
言葉、とりわけそのコミュニティや年代にしか感覚的につかみにくいものは、
おもしろいものもどぎついものも、ぴったりなものもあって、とても興味深い。
私は外国語が全然できないので、ひとつのことや感覚に対して、日本語のみをどこまで取り替えたりつきつめたりしてゆくか、ただそれだけの作業にひとりでもくもくとすごすのが子供の頃からとても楽しかったんでした。
今も。
それとは全然違う話なんだけど、数年前に、
あ、今の若者は「イエーイ!」じゃなくて「ウエーイ!」って言うんだ?
と気づいた時、けっこうびっくりした記憶があります。
はしゃぐ表現ね。サークルや飲み会とかでね。
最初から「イ」って拡げないで、「ウ」ってこもらせてから開けるんだ?って思って。
そんなことぽやぽや考えてる時点ですでにおばさんなんだけども、誰かそういう論文でも書いてたらいつか読んでみたいものです。
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