「雨がち」
- naitou
- 4月2日
- 読了時間: 2分

雨で寒い夜、映画を観に新宿まで。
向かう道すがらも、帰り道も、流れてゆく人々の中で私は、じっとたくさんの物思いを重ねていました。
ぼんやりと雨に光る車道やネオンが、少し夢の中のようでした。
映画の中にいたのは、もちろんボブディラン。だけではなくって、昔の自分の仕事に近い立場、まわりにごっちゃにたくさんいたような人たちの立場それぞれ、見えてゆくもの見ようとしないこと。
最近は、遠く年月をこえてゆくことで、あの時本当はずっと思っていたことを、今では少しは筋道立ててくちに出来るような気がしています。
でもそれは同時に、ものをつくるひとに言ってはいけない最後の言葉であることもわかっています。
もちろん、自分にとっても。
周囲にとっての長年の「私」像みたいだったもの。そこに向かってくる立場と仕事。
やがてずれてゆく人々や世界の軋み。
最後の1.2年くらいの私は、社会的に姿を消すか、自分自身がこの世から姿を消すか、もうどっちかなんだろうな。ってところまで来ていたんだと今では思います。
雨の朝は、出かけるのがおっくうで、窓辺でまるく眠る猫におでこをくっつけて深呼吸。
そろそろお弁当でもつめよっかな。
映画はすばらしかったです。
この雨がやんだら、誰か教えてください。
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