強かった雨も、だんだんと小やみになってきました。
今日はゆっくりと、今後への準備にあてた時間をすごしたいと思っています。
昨日はとても楽しかったです。
お会いできたかたがた、ご来場のみなさま、本当にありがとうございました。
あまり他のブースを見て回れなかったのが心残りでしたが、それはぜひまたの機会に!
また後日ゆっくりと、いろいろと今日の思い出を書けたらと思っています。
とてもいい機会をいただけたことに、心より感謝しています。
ありがとうございました。
「ものをつくる」ということをしなくては、生きてゆくのがむずかしいひとまたはそれによってより楽しみよろこびをみつけることができるひと、について、昔よく考えたことがあります。
昔、自分で自分のことを「自分、めんどくさいんだよね」と自慢げに言う人々を、苦手または辟易した気持ちで思っていることが多々ありました。
「またか」と思って。「あ、お前もそれ言うか…」みたいな気持ちで。
だいたいアーティストさんなり人前に出ることが多い立場だったりするひとが多く、もちろんその立場なりに、その個々の特性なりに、かかる負荷が多くも光さす才能ある立ち位置であることは私もずっとできるだけ理解するように努めてきたと思っています。
でもこの、自分で自分を「めんどくさい人なんで」と直接言ってくることに関しては、
それはそういう自分だからもっともっとこまやかに気遣えってことかそれを他の人にも周知しといてくれってことなのかはたまたおごりなのか自慢なのかなんなのか。
そういう「めんどくさい」主張の話の流れで、ふと他の誰かの話になった時に
「俺、……あいつが死んじゃいそうな気がして」と、言われたことがありました。
それはとても真剣で、その誰かを気遣う、心からの大切な声音でした。
でも、その頃私は日々の仕事に、彼らと経てきた年月にもうものすごく疲弊していたのです。
だからその時、口に出しては言わなかったけど、心の中で即座に強く切り返していたのでした。
<っていうか、今あなたの目の前の私が、もう死んじゃいそうなんだけどね>
それにはまるで気づかないし、知らんぷりなんだなってことに、思わず鼻で笑ってしまいそうでした。
また雨が強く降ってきました。
「ものをつくるひと」が、状況によっては、周囲に、誰かに、ふりかざしがちなあやうい刃を仕事で何度も見てきました。
いいこともわるいことも、それぞれです。
それについてはなにも今は言いません。
ただ、今自分がものをつくるところに立った時、これだけは忘れないでいたいと、もう本当にいつも願っています。
ひととしてちゃんと生きていよう。
日々を経て、そこから生まれてゆくものを、おだやかにでも強く、私は大切にしていよう。
全部はむずかしくとも、それでも。
そして描けるものをかたちにしてゆくのが、私なのだと今は思っています。
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