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「鳩は夜はここで眠る」

  • 執筆者の写真: naitou
    naitou
  • 6月2日
  • 読了時間: 4分

蓮の花って、いつ咲くのかしら。

子供の頃はこの写真の右端(写ってないけど)の赤い渡橋で下の方に降りて、鯉にえさをあげに行くことが多かったです。

…えさ?サンドイッチを作る時にパンの耳をたくさん切り落としたやつばっかりだったんだけど。家じゃあまり食べないお麩とかさ。

人のいない早朝の境内をいつも歩きに来る小学生の私に、警備のおじさんが飴をくれることもありました。でも人に慣れない私は照れすぎて、ちゃんと挨拶もお話もできなかったなおじさんもそれ気にしちゃってたかな、って今でもふと思い出すことがあります。


この写真の手前、右後方に幼稚園があって、鳩小屋もありました。鳩は夜はここで眠る。

広島の平和公園にもたくさんいた白い鳩たち。彼らは浄らかな場所、もしくは浄らかになりたい場所にいるものだとずっと思っています。

八幡宮のお祭りでのお囃子練習に入ってる近所の子供が数人いて、いいなあ、って思いながらも私はここで育った子じゃないしどうせすぐ出て行くだろうからって、はなから参加はあきらめていた。

でも境内で、なにかの儀のたびに催される雅楽を観に行くのは楽しかった。

その頃小学校で管楽器バンドに入った私は、雅楽の楽器の仕組みやよくわかんない音や吹き方、そういうのがものめずらしくてとても興味深かったんだと思う。一緒に観る機会が多い、舞の所作なんかも。


流鏑馬も、一度だけ観に行った。八幡宮への入り口は近くの国立大付属小学校の横にもあって、その広い通路にひしめく大勢の人々にまじって観ました。すごい勢いだった。

もっと奥の方には古い仏像などがいろいろある館があって、確か市内の小中学生は無料で入れたので、何度かひとりで行きました。目が合うものも合わないものもたくさんで、かしこぶってじっくり見ちゃったりしてね。

逆側の奥の方には美術館があってそこで何を観たかはもうあまり覚えてなくても、いつもいい建物でいい気配だった。

この写真の奥、池の向こうには、大輪の菊をみごとに咲かせた鉢がいくつも並ぶ時期があった。


今思うと、小学生の私の行動範囲はかなり狭かった…これ、八幡宮の話ばっかりだね!

あとは駅の向こうの図書館と、海へ向かうぐらいだったかも。子供だからお店もほとんど入らなくて、ショーウインドウを眺めるだけのことが多かったしね。

それ、楽しかったのかな?

うん、たぶん。

ほぼ全部、ひとりだった。もちろん淋しくないわけじゃなかったけど、その時期ひとりですごすことによってその地から受け取れるあらゆることが自然に身にしみていった気がします。


全然関係ないんだけど、確か、このあと、鎌倉を出て利根町に引っ越す予定じゃなかったような記憶があります。

鎌倉を出る日になって「引っ越し先が変わった」って急に言われたような?横浜かどこかだったのかな当初の予定では。

子供の私は引っ越すこと自体が気になってばかりで余裕がなくて、引っ越し先のことはあまり考えられなくて聞き流しちゃってたけど、今になって、それってけっこう重大なことだったんじゃないの?と思い始めています。

社宅の空きがなくて急に変更になったのかな、じゃあ元々の家がある利根町にしておこうってことになったんだな、くらいに勝手に思ってた。

昔の記憶は、たどるたびに、きりがなくなってゆく。


子供の私が住んでいた鎌倉の家は、もうありませんでした。

建て替わって、二世帯住宅になっていた。夏の雨の朝、蝉が脱皮しようとしているのをずっと見つめていた玄関前の木々は、今はもう見当たらなかった。

まわりはそのままの家も多かったし、砂利道も変わらなかった。

あれは今なら古民家って言うんだろうか。古びた木の枠の窓、鍵は内側からねじねじを入れるタイプだったのも広島の家と似ていて、馴染みやすかった。虫もいっぱい出たけど!部屋に巨大な蜘蛛が出て怖くて身動きできなくなったことも!


もう長いこと鎌倉には行ってなかったけど、そんなに遠くないこともわかったので、時々は気軽に訪れたいと思っています。



















 
 
 

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