「2019年のノートより」
- naitou

- 5月19日
- 読了時間: 8分

ずいぶん前の文章を発見したので、ここに置いておきます。
内容から言って、2019年くらいの文章かと。
まあまあ痛々しくって内容もつめこすぎで、紙で見つけた時には捨てかけたんだけど、たぶんこの頃にやっとこういうことを少しはまとめて書けるようになれたんじゃないかな、ってあとで思いなおして。
読んだらつらいひとも少しはいるかもしれない。でもここは誰が読んでいるのか私にはわからないし、きつかったらごめんとしか言いようがないけど、私は私で、自力でクリアしてゆかなきゃいけない日々がある。
だから。
これを書いた頃からまた年月を経て、今の私はまた刻々と変わってゆく。
この文章をひとに見せられないんだったら、私はもうこの内容から先へは行けないんじゃない?そう思っている2026年現在の私がいます。
いいこともわるいことも、なにか思うことがあるひとがいらしたら、ここにコメントでもお問合せ用のメールアドレス(ABOUTページに掲載)にでも、直接お送りくださいね。
べつにこわいこといっこもないからね。
あと、長文で横書きなので、読みにくかったらごめんねだね。
当時の猫の名前は幼い頃から読んできた松谷みよ子さんの『モモちゃんとプー』からとっていて、それはなんでかって、中2から家で飼ってた犬の名前がモモちゃんだったから。
私が家を出てモモちゃんが亡くなったあとに出会った、約束の猫だったから。
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「もじばけ」(2019年ノートより)
猫の絵本を描くようになって、もうすぐ10年になる。
それは、長年携わってきた演劇制作の仕事を全部やめた夏からのことだった。
これなに、と家人が言った。
絵本、描いてみたの、と私がこたえた。
ノートの切れ端に、そのへんにあったペンですごくかんたんに、飼っている猫・ぷーさんと私の絵物語を描いてみたのだ。それを家の柱に貼っておく、ということをしばらく続けた夏だった。
私はといえば、散歩道に、凛としたひまわりが咲いていたことだけ覚えているような、ぼんやりした晩夏だったと思う。
絵を描いたことは、ほとんどなかった。
それがなにゆえいきなり絵本、と思うよりも、自分にとって必然である気がする自然さで、私は絵物語を次々とつむぎはじめた。
ちょっとひまわりが風に揺れただけで、すぐ泣いてしまうほど弱っていた、あの夏。
きっと、何かしていたかったのだと思う。
演劇の仕事をしていた頃、私が仕事以外で個人的に褒められたことがあるのは自分の文字のことくらいだった。
大入袋や、ちょっとしたおしらせや、郵便物のあて名やなんかに、筆ペンでなだらかに描く文字が、それなりに特徴的だったからかと思う。
「まねしたい」「図面のサインに使いたい」などと言ってくれる人がいると、ささやかに嬉しかったりした。
文字は、かつて私にとって親友だった。私は、本を読んでは深呼吸し、文字を連ねては自分の中に降りて行くことができた。
けれどもその夏以降、文字は、そして言葉は、私にとって、あまりにもきつすぎた。合わなくなったと言ってもいいかもしれない。愛すべき友達にいきなり敵にまわられてしまったような気さえした。
きっと、仕事をやめる最後のほう、ひどくきたないおどろおどろしい言の葉を、ひとと心底ぶつけあった、その罰だ。
私は、ノートに、まず猫を描いた。
ずっと飼っている、恋人のような子供のような大切な自分の猫・ぷーさんを、擬人化していくついくつも描いた。わかりやすい表情や、目だけでものを言っている姿や、笑顔、涙。
言葉は発しない、文字は書かない、絵だけで物語をつむぐ、というのが最初のマイルールだった。いや、違う。私はもう、言葉の森に言葉を落としてきてしまった人だと自分のことを思っていたのだ。
実際、話すのも聞くのも、読むのも書くのも、だんだんできなくなってゆく自分がいた。
それまでの人生そのものであったような仕事を退いて人と会わなくなって、たったひとりで黄泉の闇に降りてゆく日々とは、なんて不思議なつらさだったことだろう。私にできるのは、ただただ猫の絵を描き続けることだけだった。
とくに誰に教わったのでもなく、何かをまねたわけでもない、自分だけの描き方をかさねてゆくたびに、しんと静まりかえってゆくこの気持ちはなんだろう。
そう思う間もなく、私はどんどん絵に入り込んでいった。連なるたくさんの場面、声のない猫、誰がどう受け取ってもいい物語。
技術なんか、後付けだった。とにかく、描いた。
最初に、目を描く。その時、どこに何が見えているかで、だいたいその先のすべてが決まる。耳を、ひげを体を筆できゅきゅっと描いて、最後にちょいちょいっと、全体に縞模様を入れる。
色鉛筆を何色もかさねて、ごしごしと描くこともあった。パステルを使うと、今まで目に見えなかったものが見えてくる瞬間があって、自分でもびっくりした。
夢中で描いている時、そばには、いつも本物の猫がいた。私の膝の上で、ぷーさんは消しゴムのカスにまみれて眠っていた。
優しい寝息をたてて。
たまには、ごろごろと喉なんか鳴らして。
あれ、私こんなに、絵を描く人だったかしら。
この物語は、どこから来たのかしら。
ふとそう思う時、私の中には、それまで出会ったたくさんのひとが生きていることに、いつも気づかされた。
あのひとだったら、ここはこう出る。あの打ち合わせの時、彼女が主張していたのは、こういうことではなかったか。この場面に合うセリフは、彼なら絶対言える。ささやかな差し色で、最後に物語をつなげる見せかた。
それは。
私の中ではすでに亡くなったと同義なくらい、もう会うことのないであろう、たくさんのひとびとのかけらが織りなす影絵だった。
かつて、私が携わった演劇公演は、もはや数えきれない。
今はもう、どうしているか知らないとある劇団の制作を担う会社の代表として、あらゆるものといのちがけでわたりあった日々は、きらきらした闇としか言いようがない。
みにくいものも、うつくしいものも、きっと見すぎた。
だから、もうわけもわからなくなってゆく私が、自分の命さえも最後のマッチに灯しそうになった時、目には見えない演劇の神様かなにかが、
「もういいから、やめな」
と言ってくれたことを、うらんだこともあったけど、今ではとても尊く思う。
会社をたたんで劇団をやめた私は、ひまわりと猫とともに、あてのない永い旅に出たようなものだ。ここはどこだろう、とずっと思いながら。
関係者総勢でも10人前後だった若かりし頃の公演でも、やがては100人以上のひとが携わってゆく公演でも、私の中で変えないことがひとつあった。
千秋楽のうちあげで全員に配る大入り袋の宛名だけは、どんなに忙しくても、自分で全部書いた。
お気に入りのカフェで、心静かに、ひとりずつを想いながらゆっくりと宛名をしたためる…なんてことはあまりに多忙さにまったく不可能で、大入袋の宛名書きに手を着けるのは、千秋楽のうちあげのさなかにやっとのこと、なんてことばかりだった。
よれよれにくたびれて、人目につかない端の席で、制作助手たちに手伝ってもらいながら、私は大入袋の宛名をさかさかと書いていった。
時にはやけくそのようにビールをあおり、「鶴がこっそり機織りしてるみたい」などと言われつつ、あまたの関係者の名前を書き続けている時、心のどこかはいつも澄み渡っていた。
涙も笑顔もちょっとした狂気も、うずまいてはうごめいていた現場ながらも、名前を書くときだけは、そのひとそのもののことと、この公演でそのひとが見せてくれた仕事というもののことを、瞬間、強く思えていた。
それが、私の仕事だったから。
私が大入袋を書くことは、二度とない。
でも、夢中で書いてきたたくさんの文字も、それらが意味する人々の名前もものごとも、全部私の中で生きている。
そして、今の私には、猫がある。
かなしいことなんか、もう、ひとつもない。
季節はめぐる。時はたつ。
私は、たくさんの景色の中で、猫を手に入れ、ぷーさんをなくし、物語をつむぎ、絵を描いては青空を見上げ、まひるの月を確かめている。
ぷーさんは今頃、月にでもいるのだろうか。
たくさんの物語となって。
私の文字は、化けてゆく。
まるで、おとむらいのようにしずかに空へとたちのぼってゆくたくさんのひとびとのさまざまなかけらたちは、やがて私の猫のかたちとなって、おとぎの森の風に立つ。
私は、いつまでも思う。いつまでも描く。
なくしたものごとやひとびとは、いつまでも私をうつ。
それらを悼むでもなく哀しむでもなく、いつしかなんでもなく優しい物語に置き換えてゆけるように、私は猫をつかう。
かつての私のように、ひどくつらく、なにかをなくしたことがあるひとに、猫がただただ涙をぬぐいに行けるように。
静かにやすらかに、黙ってよりそっていられるように。
時おり、私の猫がそっと誰かの琴線に触れることがある。
かすかにすてきな音がするので、すぐわかる。
誰にでも、とはもちろん言わない。
けれども、この猫を必要とする誰かに、確かに届くことができたら、ほんのちょっとでも触れることができたなら、もうそれでいい。それだけでいい。
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