自分が本当にやりたいことを、自分の中でくっきりと際立たせるには
あんまりやりたくないこと、気が進まないこと、なんだったら本当に「やだな」と思うことも、それに対してすごす時間も労力も、なにひとつ無意味ではないと思う。
というようなことをわかりやすく書いた文章を、昔、高山なおみさんの日記文学「日々ごはん」のだいぶ昔の章で読んだことがあって、その時は私もだいぶ若かったので、
「ああそっかー」
「あのバイトの時そんな感じだったかな」
とか、いくつか思いあたるように思っていたけれど、
今は思う。はっきりとわかる。
見なくてもすむ人生もあったのかもしれない闇をむりやり見させられて、閉じられてゆく人生にただただ「それは違う」とあらがって、体も思いっきり壊して、もう誰ともくちもきけなくなっていて。
そうやってすごした数年ののち、最後の最後に自分の底から出てきたものは、
ちゃんと私を救った。
何年もかけて、自分が自分に届いた時の感覚も、そのまぶしい嬉しさも、そして「これもう一回同じことやれって言われても絶対無理!」って思ったことも、もう忘れることはないと思う。
日々、雑音なくおだやかに暮らしてゆくのは、昔も今もそんなにたやすいことではなくってね。
ただ今は、今しばらくは、できるだけ自分の中をクリアにしておきたくって、何が違うとかではないのかもしれないけれど、できるだけ心を澄ませた状態でノートに向かえたらと思っています。
文字原稿はもうずっと前にお渡しできているので、今は絵を無数に描いてゆくだけなのだけど(いやそれだけですむことじゃない作業だとも思っているけど)、
今できること、あともうちょっと澄んだらできること、ふだんの日々に見えるもの、紙の上にやがては立ちあがってゆく世界。
そんなことごとに対峙する季節に、今はいます。
おやすみなさい。
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