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「旅愁」

  • 執筆者の写真: naitou
    naitou
  • 55 分前
  • 読了時間: 3分
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12月に入ってから、ぎゅっとした隙間のない日々をおくっているので、それはそれでけっこう楽しい。

でも今の年齢でこの進行を保てるのはおそらく数カ月間くらいしかないのではと思う。

自分の強さも弱さも、いつかは夢の中。

だいじにしていたい。


広島にいた数年、YMCAに通っていたと思います。

あれは、なんていうのだろう…キャンプ?ゲーム?野外活動?

もともとかなりのインドアでひとと遊ばない子だった私が、田舎から大都会広島に引っ越してきてさらに本ばかり読んで自分の世界にのみ暮らしていることを家族が気にかけてか、子供のかんたんなゲームや球技、キャンプのゲームなどを講座にしたものに週1くらいで通って、時々はイベントや季節のスポーツもあって。

そこにはいろんな小学校の子が来ていました。

週1でも、そこではそれなりに楽しくすごしていたと思います。


そんなYMCAでの、ある夜のことでした。

今日はもう帰ろうとして靴箱のあたりでもにょもにょしていた私は、他のコースで学校も学年も違う知らない子が靴を履きながら口ずさんでいた歌をふと耳にしてどきりとしました。

「あの!…ねえ、それ、なんて曲?」

私はめずらしく自分から知らない子に話しかけたのです。

それは、聞き覚えのある曲でした。たぶん、それよりも数カ月前の季節に観た映画の中で歌われていた曲だったと思います。

私は映画を観てその曲がずっと気になっていて仕方がなかったから、でも歌詞も題名も子供だから全然わからなくって、自分の胸の中にそのはしっこだけだいじにとっておいていました。

「あれ、これ知らんのん?りょしゅう、言うんよ」

「…りょしゅー…」

「何年?うちね教科書載っとったよ。じゃけ歌集でも覚えたんよ」

歌集とは、市内の小学校で全員に配られる<みんなのうた>的な、音楽の教科書とはまた別の小さくて厚めな補助的な唱歌集のようなもののことでした。

ちいさくお礼を言って、知らない子と別れて帰宅してその歌集をさがしたら、ちゃんと載っていたのでしたその歌は。


子供の私が観た映画がなんだったのかは、いまいち定かではありません。

でもなんとなくの記憶をつなぎあわせると、それは灰谷健次郎さんの児童文学『太陽の子』の映画化だったんじゃないかなと思っています。

(そういうことは、あえて調べないようにしています。おぼろげでも、記憶優先で。違ったらごめんなさい)

主人公のお父さんの記憶の底、沖縄戦の場面でした。

学徒出陣の少女たちが、岩場で歌う『旅愁』。白いシャツとおさげ。中には涙ぐんで声がつまる子も。

歌が終わると爆発が起こりました。

いや。起こしたのでしょう。

その煙の向こうで、もう動かない少女たちを見つめる男の子。それはお父さんの記憶なのでしょう。

子供の私にはすぐには意味がわからなくて、時間はとてもかかって、でもその歌の出だしとメロディはあらゆるものと結びついて自分の中にずっと残っていたのでした。


その頃私は、子供ながらに、すでに旅の空にいるように思っていたのかもしれません。

はるけき思いは、遠くどこまでも続いていて。

だからその曲は、大人の歌でもあり、子供の歌でもあったのです。

8歳か9歳だった私にもそれは。


帰り道は、とても冷えていて真冬かと思っちゃいました。

まあ冬なんですけど。今それなりに。

昨日の朝、お気に入りのダッフルコートを着かけたら留め具の紐が「ぷちっ」と切れてその日はダッフルあきらめて、そのあと買い物に出たらレジに表示された合計金額が「\666」だったのでちょっと笑ってしまいました。なにこれアクマの数字?オーメン?流行ったね昔。

そんな日もどんな日も、私は私でやってゆけばいいと、すべてに対してまっすぐに思う。

だいじょうぶ。







 
 
 

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