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「いつもいつでもいつの日も」

  • 執筆者の写真: naitou
    naitou
  • 2025年12月8日
  • 読了時間: 3分

先日、私が棚に置いておいた『星からおちた小さな人』を、手に取って嬉しそうにひらいている人を見かけました。

私まで嬉しくなって、遠くでにこっとしてしまいました。

きっと、その人にも、かつてはそばにいたのでしょう。星からおちた小さな人が。

いや今も。


佐藤さとるさんの物語は、当時も今も、多くの子供たちを魅了してそれはやむことはありませんでした。

広島の小学校時代は、その本を好きな少人数の子供だけが大人やみんなに黙ってこっそり集まって、一緒にたくさん話したり遊んだりしていました。

10歳になるかならないかの私たちにとって、その物語の中に入ることができる、ということはとても重要だったから。


それからずいぶん経ったら、いつしか私は大人になっていました。

よろこびもかなしみも、すっかりパンクしていて、ボロボロでもういっさい何も入れられない袋のようでした。

ずいぶん前、横浜のほうの文学館に佐藤さとるコロボックル展に行ったのはいつのことだったのかもうわかりません(何度か同じような企画はあったようです)。

ひとつひとつ、昔よく知っていた存在やことがらについて、ふっと笑ったりそうだよねと思ったり。

その時、展示の最後の方で、たぶんお山のジオラマに年表を重ねているようなコーナーだったかと思うのだけど、私家版の時の『誰も知らないちいさな国』初版について触れている部分がありました。

それはその時初めて知る事実で、佐藤さとるさんの初めてのお子さんのお誕生日の日付に、その出版日を設定したとのことでした。


うん、でも、これって、

私の誕生日と同じ日付でしょう?

ってことはおチャメさんの誕生日ってことでしょう?

そこから始まった物語だったの?そうだったの?それって。


それは、ものすごく、べつによくあるなんでもないことなのかもしれませんでした。

ジオラマと自分を隔てるガラスに手をあてて、ずいぶん年をとってからのプレゼントみたいでありがとうねと思って、ちょっとだけ涙ぐんで、

子供の頃の私がこれを知らないでよかった、と思って空を見上げながら館を出ました。

そんなの。だって。

思い込みの強いさみしい子供だったもの。

そんな事実知ってたら、これは自分の物語だったんだって思っちゃうじゃないか。

そんなの。たちうちできないよ。


『誰も知らない小さな国』は、文庫版でずっと持ち歩いていたのだけど、16年前、最後に吉祥寺を出る時にどこかでなくしてしまいました。

気がついたらもう、かばんに入っていなかったのです。

長い旅が始まる時期でした。

もうほとんど、覚えていないことばかりです。


10歳にもならない私と、その本たち、わずかな密な友人。校庭の隅、いつも集まる場所。

猫のことばかり教えてくれた仲良しの男の子。教会の鐘の音。

もしかしたらその時期は人生において、ほんの一瞬だったのかもしれません。

でもその頃習っていた絵の中に、なるべく優しい色を使うようにしていたパレットの中に、それらを今なお描き出す日が、見えていたらいい。

いつもいつでもいつの日も。



 
 
 

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