「雨に見る灯」
- naitou
- 3 日前
- 読了時間: 3分

枕元でまるくなって眠っているネルネルのむくむくのおしりが、私のほおにめりこんできて目が覚めました。
かすかなる猫のいびき。
やがて、うんと伸びをした足先なんかも私のおでこにめりこんできたので、あきらめてさっき起きてきたところです。
最近、ニュースを見ていて、ガスボンベの爆発事故こわい!と思っていたら、
昔初めて一人暮らしを始めたアパートのすぐ近くだったことを知って、どきりとしました。
駅へと向かいながら、バイトや稽古まで時間のある時はあの公園に寄ってパン食べたりしてたよ…
じゃあその頃すでにガスボンベは埋まっていたのですね。
ご近所のかたがたのご無事そして被害のケアが手厚くすすみますよう、心からおいのりしております。
もう少し千葉寄り、浦安駅のほうが近いくらいの川沿いに、その小さなアパートはありました。
初めての一人暮らし、1K(と言いつつ、台所が広くてテーブルも置けたので1DKと言い張っていた)で49000円で、そこそこすごしやすくって。
当時は、バイト先の広告系出版社のビルが銀座七丁目、稽古の拠点が早稲田周辺だったので、東西線を中心に移動もしやすく、穏やかな町なみとすぐそばを流れる川の景色がすぐ気に入ったのでした。
アパートからすぐ、浦安へと向かう橋からは、夜になるとそのあたりの岸へと帰ってくる屋形船たちの灯がぼんやりといくつも光っていて、それを見に行くのが好きでした。
夜八時近くになると、自転車でもう少し先、海に近いほうの土手まで行って、向こう岸のディズニーランドに小さく遠く見えるシンデレラ城から次々とあがる花火を見るのも楽しかった。
その頃私はいくつだったのでしょう。
22かな、23歳くらい?
就職はしないで、学生時代からバイトしていたその出版社で日数や時給などの待遇がもうちょっといい契約にかえてもらって、劇団のことを毎日いろいろこなしつつ、なんだかいっしょうけんめい暮らしていたように思います。
そのアパートでひとりきりで暮らしていた月日は、さほど長くはありません。
いや、かなり短かった。
少しして、猫が来たので。
もう少ししたら、今の家の人が来ました。
(もちろん動物禁止の単身者用のアパートでした。…ごめんなさい。)
そのうちに私のいた劇団の公演を下北沢や三鷹のホールでうつようになり、公演中は普通に「ここまで帰って来るの無理!」という時間や体力や仕事量になっていって、2000年代に入った頃、私たちはそのアパートを出て東西線のもうちょっと都心部のほうへと引っ越していくことにしたのでした。
前の猫が亡くなった少しあと、その駅まで行って、昔のアパート周辺や猫がちいさい頃お世話になった動物病院を見てまわって、家の人としばらく歩いたことがあります。
猫のお骨を持って。
私はその時ものすごくぼんやりしたり朦朧としたりしていたから、夢の中の旅みたいだった。
現実とちょっとだけずれたよく似たどこかで、あのアパートであの景色で、若い私たちと猫が、いつまでも暮らしていたらいいのに。そう思っていた。
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