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「発話旋律」

  • 執筆者の写真: naitou
    naitou
  • 2 時間前
  • 読了時間: 2分

子供の頃の記憶は、私をまあまあ和ませる。

楽しいことばかり強く何度も思い返していたから、あたりまえなのだけども。

それはある意味正解だと思っています。


作曲家ヤナーチェクの発話旋律について、少し調べていました。

以前、高山なおみさんの文章で、ヤナーチェクが人の発話のイントネーションを譜に起こすことや、じかの発声と一段階を経る楽器との違いにこだわっていたという部分を読んで気になっていたので。


私は、自分は、楽器が好きなひとだとたびたび思っています。

自分ひとりではできないことが多い私にはずっと憧れだったのかもしれません。

そうは言っても、弦楽器は苦手…パーカスもあんまり…とか思ってたりもして(聴くほうじゃなくて、自分でやるとしたらのパートの話です)。

子供の頃、管楽器バンドに入って以来高校卒業まで吹奏楽を続けていたのは、もちろん興味はずっと底にあったのだろうけど、そこでその時出会ったから、としか言いようがありません。

きっと。

子供時代に身近に弦楽器が揃ったオケがあったらそういう活動をしていたのだろうし、教会の聖歌隊に入っていたらそっちに夢中になっていたのかも。


いろんな自分がいていいと今は思います。

これはできない、とか、これは私は違うから、と、思いこまなければ。


今は絵を描くことが多い日々です。

でもそれだって、小学校の時は好きで入った絵画クラブで自由に描いていたはずなのに、少しして転校先の男子にからかわれたり、これは向いてないんだって自分で思ったりして、また描きはじめるのにもう何十年もかかってしまっていました。


急には舵をきれない。

そんな自分もわかってる。

体調が不安定だとか、昔の記憶が怖いだとか、あげたらきりがないことばかり。

たいした強がりも言えないけど、

じかに声を、

なにかで一段階置かなくてはならなくてもそれでも自分の声を、

発することで生きてゆける日もあるのだと誰かは言うし、私も言うね。

まっすぐにね。




 
 
 

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