「サティ」
- naitou

- 7月14日
- 読了時間: 4分

利根町の白鷺にいた頃、私の家のある通りには同学年の子がたくさん住んでいた。
そういう年頃だったのです。同い年ストリート。
小学校2年生までいた時と、6年生の秋になってまたその町で暮らすようになってからは、多少顔ぶれが変わっていたけど、今数えてみたら8人くらいの同学年がそのブロックの子供会(今はあんまりそういうのはないのかもね)にいたように思う。
6年生の秋、やっと小学校にも慣れてきた私が日曜日の朝のんびりねぼうしていると、玄関先で家族が女の子となにか話しているのが聞こえた。
私を迎えにきた子みたいだった。
ああ、幼なじみって、連絡も約束もなくきゅうに遊びに来るんだっけな……。
それがとても普通なんだってこと、転校続きの私は全然忘れていたことにまた自分でびっくりしたりして。
その冬から春、幼稚園の頃からたがいを知っている女子3人で、けっこうたくさん遊んだ。
「こっちじゃない?」「うん、なんか、この坂通ってたかも!」
田んぼ道、自転車をあちこち走らせていたら、昔自分たちが通っていた幼稚園に行けそうなことに気づいて探検気分で角を曲がっているうちに、いつのまにか幼稚園に着いてはしゃいだこと。
(当時は幼稚園へはバスで通っていたからすごく遠くなのかと思っていた。バスでの通学路は利根川沿いに小貝川へ向かって取手方面と逆に行く、ってことくらいしか覚えていなかったし、自転車での私たちはまた違う方向からてきとうに走っただけだったから)
その田んぼ道の途中だったと思うけど、町の公民館みたいな施設が新しくできていて、確か小さなホールと図書室と会議室があったこと。
私たちは何度か、薄暗い誰もいないそのホールに潜りこんで遊んだ。グランドピアノがあったので私は薄暗がりの中かっこつけてうろ覚えのサティを弾いたり、3人で小さな声の内緒話を響かせてはまたこっそり笑ったりしていた。
中学に入ると、それぞれ、クラスや部活で気が合う他の子とすごすことが増えていって、家が近いことにもそんなにこだわらなくなっていった。
そして、はっきりと、またはなんとなく、その町からどこかへ引っ越してゆく家も増えていった。
その町で、私の家の向かいは、今年2月に柏での展示の際に詩と音楽のイベントに参加してくれたふくだくんの家だった。幼稚園から一緒だったとはいえ、そんなにちゃんと話したことはほとんどなかったかもしれない…中学の時は部活も違ったし(イベントの時は本当にありがとー)。
私が実際に住んでいた年月は今思えばとても短かくて、女の子チームできゃーきゃー言って遊んでばかりいた。
隣の家の女の子が同じ吹奏楽部だったので、朝はまずその子と一緒に家を出て、通学路の途中に住んでいたパーカスとユーフォの女の子たちと合流して朝練に向かっていた。
いつのまにか町の人が少しずつ、どこへともなく、引っ越して行っちゃっているな…なんてだんだん思うようになっていたら、中2の終わりで私も引っ越すことになって、えーもうやだな!ってため息つきながら荷造りをした。
ああそうだ、県立柏高校の受験の時、昔よく一緒に遊んでいた男の子が知らない中学の制服を着て受けに来ているのを遠目に見かけたんだった。それが最後だったな。
サティ。
私に今弾けるかな?出だしくらいしか覚えてないかな?今度やってみます。
誰もいないホールでピアノに触れた時、いつかこういうところで暮らす人になるのかも。って、思った。
それは、出る人としての自分と言うよりも、たとえば、
いぬいとみこさんの「木かげの家の小人たち」のように、ただそこにいることが大切なような。
いまだに言葉にはしにくいのだけど、たぶんそれが根に近い、自然に好きで呼吸がしやすい気配なんじゃないかなって今は思う。
。。。。。。
*当時の中学生が授業中に描きそうな感じで落書きしてみたんだけど、
こういうトレーナーとか髪型、少女マンガを中心に流行ってたね。




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