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詩画集『natural tone tour』、フリーペーパーより(3/3)<PUNK naitou>

執筆者の写真: naitou
naitou
4 日前
読了時間: 3分

~natural tone tour41「パンクナイト」に~


友人に話す時には「ああこれね、内藤がパンクした話!」などと、ふざけて言うことが多い私です。

下高井戸の商店街から五叉路をこえて日本大学へ向かう途中の自転車屋さんでのできごとから、この作品を書き出しました。

その自転車屋さんには初めてお世話になりました。以前からガラス窓に、とある劇団のポスターが貼ってあったのでずっと気になっていたのです。

野外劇を中心とした話題の劇団で、私も花園神社まで観に行ったことがありました。


私は、二十代から三十代後半まで演劇活動をしていました。出演する側ではなく、とある劇団の制作とマネジメントを担っていました。どれも、大切なフルカラーの記憶ばかりです。

それらをすべてやめざるを得なくなった夏から今まで、もしかしたらずっと私は流浪の民のような気持ちだったのかもしれません。

あのポスターが自分のいた劇団のものだったら、そうではなくても身近だった親しい劇団やなんかだったら。おそらく私は、自転車屋さんに入ることすらできなかったと思う。


パンク修理が終わって外へ出て寒い夜道、ひとりで自転車を走らせながら私はじっと考えていました。あの頃の自分には見えていなかったところで、こんなふうにずっと誰かが想ってくれていたのであろう大切な気持ちについて。


当時の現場にいた出演者スタッフ他大勢の関係者。すでに離れた人やもともと短い関わり方だった人々。近くで遠くで、そんな彼らを見つめる家族や友達。劇場さん。活動をとりあげていただいたさまざまな媒体。わざわざチケットを買って劇場まで観に来てくれたたくさんのお客様。

それは、今はもうない名前で呼ばれていた私の来し方と、ひどくずれてはまた少しずつ重なりあってゆくのでした。

この気持ちを、ちゃんと書いておきたい。かたちにしておきたい。ごめん、今の私にはもうそれしかできないんだ・・・・。

その時でした。うつむいて頭を振って見上げた冷たい冬空から、誰かが私に言ったように思いました。

  ううん、違う。逆だ。今のきみだから、それができるんじゃないの?


作品の中で、楽団の名前を「アンネッテ楽団」にしたのは入稿直前の段階でした。

二十代、何度もお世話になっていた早稲田の小劇場「早稲田銅鑼魔館」(現在の名称は早稲田小劇場どらま館)の一階が「あんねて」という珈琲店だったのです。そのあたりの景色や記憶は、ずっと私の中に残っていました。

でもそれが自分がひっかかっていた最後の感傷時代なのはわかっていたからこの名前ひとつに最後のしるしをつけておきたかったのかもしれません。

笑って、もう別々の世に送り出してあげるために。

そしてぼくらは夏へと向かう。

 
 
 

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