「きっと」


大学一年の冬だったと思う。
家で新聞をめくっていたら、とある人気舞台公演の追加公演があると知って、あれ、今ならチケット取れるかも。と思って柏駅のぴあに行ってすぐ発券してもらったのです。
それは、千秋楽の昼の公演でした。
初めて行ったパルコ劇場。
その頃の私はもう、気になるものはとにかくできるだけ観たり聴いたりしようとしていたのだけど、このサイズの劇場での演劇はあまり観たことがなかったのでした。
階段まで座布団席がぎっちり出ていて(今は消防法でダメですね)、ようやく自分の座席まで辿り着いた私は、文庫本を開いたりたくさんのチラシを眺めたりしながら、ざわめく周囲の話し声を聞くともなく聴いていました。
いくつかの劇団名、その感想、知人に会ったらしく挨拶をかわす声、ざわざわざわ。
まだ全然開演前だったんだけど、途中でひとつ、私の耳に入ってきた声がありました。
「もう、始まってるんだよ」
え、何が?
私はあたりを見渡しました。開演前の演出で、なにかの場面や芝居がもう始まりかけているのかと思ったのです。
でも特に何事もなく、ごく普通にざわざわした開演前の客席の景色に
なーんだ
と思って、私はまた文庫本を開きながら開演時間を待っていたんでした。
終演後。
私はその舞台に圧倒されて、うーん、まいったなーと思いながらロビーに出ると、この日の夜の回、大千秋楽の当日券を受け付けている場所がありました。
すでにキャンセル待ちで、けっこうな番号のようでした。
それでも次々と、メモに書かれた番号を受け取ってゆく人波につられて私もその紙切れをもらいました。
「お入りいただけるかどうかはわかりませんが、◎時くらいまでに一度お戻りください」
係の人がそう案内する声が聞こえました。
その紙切れをコートのポッケにつっこんで、私はしばらく渋谷の街をうろうろしていました。人ごみに流されてゆくようにして。
もう一度観たい、と思ったのは確かでした。
でも、つめたい外気にさらされているうちに、私はポッケの中で紙切れをくしゃりとまるめました。
たぶん、それは、違うんだろう。きっと。
そんな気がしてきたから。
同じ舞台を何回も観ることについて、いろんな意見や気持ちがあっていいと思う。
でも、私はその日、お昼の公演で観たものをまっすぐに受け取ったのであろうし、
もう一度それを観ることではない方法で、そのまっすぐさは
私の中でいつかなにかにかえてゆかなくてはならない。ううん、そうしよう。
その日、私はそう思ったのでした。
10代最後の冬でした。
のちに、自分で携わっていた劇団で私はたびたび、映像やスライドの本番中のオペを担当することがありました。制作業務をやりつつだったので、いくら人手不足とはいえ頭が過熱しちゃうようなことも多々あったけど、それはとてもだいじな記憶でした。
あの稽古を経て、今これで、昨日はこうで、明日はこうしたほうがいい。
それらをひとつずつ確かめながら、客席の熱気や笑い声、ブースで自分の仕事に専念しつつ気を配ってくれる音響さん照明さん、舞台上の人々の気配。
いろんなものが、芽吹いて育っては消えて、また芽吹いてゆく。
劇場の規模が変わり関わる人数が増えてゆくにつれて、私がオペをすることはなくなりましたが、そんな気持ちを実際に感じとれた時期が自分にあることは、だいじに忘れないようにしていたほうがいい。
過去を使ってでも、確実に未来を紡ぐために。
もう、始まってるんだよ
あの声のようなものを、私は持っていないとならないのです。きっと。


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