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「夜の駅」

  • 執筆者の写真: naitou
    naitou
  • 50 分前
  • 読了時間: 3分

15年くらい前の今頃、吉祥寺で死にかけたので、それで今もこの季節になるとずっと体も気持ちもひどくつらくなるのだと、わかっています。


それらについて、いつか書いたり公言したりすることがあるのかどうかは、私にはわかりません。

今でも、なにか当時の断片でも思い出すだけではっきりと具合が悪くなることがあります。

あらゆる責任もお金のこともすべて私にひっかぶせて私ひとりのせいにして、自分たちばかり被害者面してのうのうとアーティストぶって暮らしているんだろうなと思うと、もう身動きできないほど呼吸が苦しくなることもあります。

ひどい夢で苦しむ自分の寝言で目が醒めることが少なくなってきたのも、ようやくここ数年のことなのです。


何年か前、その中のひとりと会ったことがあります。

あまりにも日々、過去の記憶が苦しくて、なかでもかつて親しかったひとりに、私から連絡をとってみたのです。

10年ぶりくらいの再会でした。

近くのファミレスで少し話し合って、

「内藤さんのせいじゃない」

「俺らはあの時何もできなかった」

というようなことを言われたのでした。

内藤さんのせいじゃない。

そのひとことは、今の私を救えたのかどうかは、私には今でもわかりません。


駅での別れ際に、彼は、これだけは思いきって訊いておきたいみたいな感じで、とある一名の名を出しました。

「あいつとか…そんなに、ひどかった…?」

私は「…は?」という顔をしていたかもしれません。

それはけっこう意外な名前だったというか、まあそれもそうだけどもああじゃあ私が直接的に誰にどんな被害にあって何がつらかったかはもう彼にはわかってなかったんだな全然見えなくなっていたんだなあんなに近くにいたのになと思って、

そうやってみんなで誰かのせいにして自分は安全圏にいたいみたいな集団の体質がすべてよくなかったんじゃないのと思って、

かろうじて「またね」とちいさく言いました。

彼は何も言いませんでした。

ああじゃあ、もう、私たちは会うことはない。

きっと二度と。

手を振って、それぞれ違う方面へのホームへと向かいながら、こうしてひとつずつ次へのステップを踏むんだろうな私はと思って、夜の駅の階段をひとり、ゆっくりとのぼってゆきました。


みにくいひとを、たくさん見ました。

たいしてなにも知らない部外者のくせに事情通ぶってさまざまに言いたてる人もいれば、ああいつのまにかモンスターになってしまったんだなと憐れみたくなるような人もたくさんいました。

自分でもちょっと言い過ぎちゃったかな今まで…、みたいな顔をしている人もいたし、とにかくもう何も触らないようかかわらないようにしているのが見え見えな人もいました。

もしも私があのあたりで命をなくしていたら、こぞって泣いてみせたり「もっと話を聞いてあげられたらよかったのに」とかなんとかあとで得意げに言うんだろうなと思って、わー気持ち悪いって、ぞっとしたことも多々ありました。


日々はそっとすぎてゆきます。

月は何度でもまわってゆくし、猫はすやすやとうたたねをしています。

「赦す」とか「忘れる」とかいったような、なんとなく耳ざわりの良いまとめかたができる日は、もう、私には来ません。

なにかをちょっと思い出しただけでここまで具合が悪くなる以上。


今は私は、元気でしあわせに暮らしていて、時折具合が悪くなることもままあるけれど、とても普通に笑ったり泣いたり眠ったりごはんを食べたり。

書きものをしたり、猫に触れている時は、しあわせで

まだまだ途中のだいじなプロジェクトもいくつかあって、

来し方、いろんな時代のいろんな友人たちにたすけられて、

ちゃんと元気でここにいます。


。。。。。。。


2024年6月26日夜

 
 
 

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